『すきになったら』ヒグチユウコ

f:id:ookami_to_taiyou:20170228000339j:plain

あらすじ

好きになると、何が起きるのでしょう? 心はどう動くのでしょう? 世界はどのように変わるのでしょう?


インプレッション

恋のサイエンス

黒地の背景に、ローズピンクのタイトル、赤基調のロリータ衣装に、やたら強調された目、頭にはお花畑です。表紙から強烈に個性をアピールしています。キャラとしてもクセが強そうで、もしも近くにいたとしたら、ちょっと距離を置きたい感じです。それでいてタイトルが『すきになったら』なのですから、「まさか! この少女が他人を好きになる? 仮にそうだとして、一体どんな風に?」と、野次馬根性を刺激します。「見た目がこんなだから、きっとエキセントリックな恋愛観が示されるんだろう」といった期待も持たせます。

f:id:ookami_to_taiyou:20170228000404j:plain

残念でした! 大ハズレです。ごくノーマルで、健全でまっとうな、素直でストレートな心理が、実にていねいに正確に描写されます。お相手がワニという部分が、いくらかヘンかもしれませんが、ふつうに考えて単にアバター的な表現でしょう。トゥーマッチに少女性をアピールした、主人公の仕草やファッションも、気になる人は気になるかもしれませんが、およそディティールとして無視していい部分です。そんなことより印象に残るのは、学術論文のようにカッチリと仕上げられたストーリーです。

いえ、ストーリーと呼んでいいのか、いささかためらわれます。絵とモノローグに耳目を奪われ、そこに読み手が自身の経験を投影したら別でしょうが、物語自体は、まったく淡々とリニアに進みます。人が人を好きになった場合、その内面で起きる変化、生起するプロセスを、克明に俯瞰してみせます。そこには破綻や飛躍がなく(だからこそ論文めいているのですが)、研究者によるレポートのようです。あの表紙の少女による絵本とは思えません。ああ見えて、実はサイエンティストだったとは……。

少なくとも、「胸きゅんカァァでドッキドキが止まんないよぉぉぉ!」みたいな話ではないだろう、と予想はできていました。また、「おうじさま と おひめさま は けっこん しました」という、記号的な物語でもないだろう、と。正直なところでは、「どこか禍々しくて、めんどくさくて、毒気のある恋愛模様が垣間見れるのでは?」という、下世話な角度から手にしたわけですが──、完璧に期待を裏切られました。もちろん、いい方向に。

f:id:ookami_to_taiyou:20170228000426j:plain

そしてまた、「絵本のこういった表現もあるのか」と知ることができました。モノローグは主観的なものに見えますが、それは少女による語りだと捉えてしまうからで、「詩人の朗読にたまたま絵が添えらたもの」といった風に解釈すると、言わんとしていることが伝わるかもしれません(実際、詩のようなテキストです)。本作は、恋愛のデリケートさを損ねることなく、それでいて分析的に描写してみせるという、ありそうでなかった表現を実現しているのです。ただしこの箇所は、大半の人にとっては気にする必要のない部分で、当ブログでもあえて「ここがポイントです!」などと野暮な指摘はしません。

なぜなら、そういった部分に目を向けるまでもなく、一読すれば、「この絵本は古典として残るだろう」と、すばらしさを直感できるものだからです。もし海外にも「大人が自分自身のために絵本を読む」といった習慣があるならば、国外においても間違いなく評価されるでしょう。あるある感が満載ですし、これほどクールに端的に、恋愛心理の移ろいを描いた絵本は、かつて見たことがないからです。ホントに傑作です。表紙で避けてる人は損してます。

ちなみにこの絵本、少女の片想いからスタートしますが、想いを寄せているフェイズと、想いが通じた後では、ページが明「白」に違ってきます。その辺りにも注意しながら読んでみると、面「白」い発見があるでしょう(手元に『すきになったら』がある人は、チェックしてみてください。すぐに分かるはずです)。

f:id:ookami_to_taiyou:20170228000438j:plain

最後にひとつ、突拍子もない読み方を提案してみます。「少女が恋をした相手は、アバターとしてのワニではなく、本物のワニだったのでは?」と。この見方は、とんでもないようでいて、それほど無茶なものでもありません。事実、人は人にだけ恋をするわけではありません。芸術や学問といったものと恋仲になる人たちは、決して少なくないからです。

「ということは何? ワニに恋した少女は、ワニに『自分のことを知ってもらいたい』と思ったりするわけ???」と疑問に思われる方もいるでしょう。ええ、多少(?)アブノーマルではありますが、ガチで恋に落ちた場合、ワニに自分のことを知って欲しく思うのは、少しも珍しいケースではありません。ワニの前で楽器を奏でるくらいのことは、当然やります。なぜって、身も心も捧げてこそ、本物の恋と言えるでしょう?

作品情報

『すきになったら』
作者:ヒグチユウコ
出版:ブロンズ新社
初版:2016年

すきになったら

すきになったら