『みんなぼうしをかぶってた』ウィリアム・スタイグ

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あらすじ

ウィリアム・スタイグによる自伝的絵本。1916年、当時まだ8歳だった少年の目から見た世界が描かれます。その頃は、大人も子どもも、みんな帽子をかぶっていました。


インプレッション

何か特別なことが描かれている絵本ではありません。しかし、すべてが特別なことのように思われて仕方ありません。いいえ、実際そこに描かれているのは、今となっては特別なことなのでした。特別な時代の、特別な人たちによる、特別な出来ごとが、この絵本の中では描かれています(そう、「みんなぼうしをかぶっていた」ような、当時においては特別でなく、今となっては、特別な何か)。それはウィリアム・スタイグによって語られなければ、この世から消え去ってしまう、個人的な記憶でもあります。


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そんなスペシャルなものでありつつ、スタイグの語り口は、実にそっけなくて、そこがまたエラくカッコいい! たとえば──。「母は『エスター・ハーベルマンは、口のわるい子だ』っていってた」という文章があり、近所に住んでいた娘のエピソードが語られるかと思えば……、何も語られません。それっきりです。次のページでは、もう別の話題に移っています。

ほぼすべての思い出が、こんな調子で淡々と紹介されます。スタイグ本人にしても、いろいろ思い出すところがあったはずなのに、バッサリ切っています。けれども、そのブツ切り感が、かえって余韻を残しますし、想像力や好奇心を刺激します。

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『みんなぼうしをかぶってた』という、タイトルからして名作の気配を漂わせている本作は、たしかに名作です。ただし、渋いタイプの名作で、おそらく万人受けするものではありません。静かにグッと来ますが、あまりに静かすぎて、分かりにくいだろうからです。イメージの仕方にもよるでしょうが、仮に「みんなスマホを手にしてた」というリアリティは、あと半世紀もすれば、この世から失われるはずです。

その時に『みんなスマホを手にしてた』という絵本が出たとして、「当時レストランで食事する前には、料理の写真を撮って、インスタグラムやワッツアップに投稿するものだった」とか、「スマホを手にする姿は、少しも洗練されておらず田舎者めいているが、かつてはそれが、スマートなものだと信じられていたんだ」といった、現代のスマホあるある話が載っていたとしたら──。半世紀後の人たちからは、奇異に思われつつも、特別な何かのように感じられるでしょう。

そうやってイメージできたなら、この絵本の「グッと来る感」を楽しめるでしょうし、そこからひるがえって、今を生きている人たちにも、強力なメッセージが送り込まれていることが分かるはずです。身の回りで起きている、当たり前に思われる出来ごとは、じつは少しも当たり前のことではなく、どれもこれも今この時だけの特別なものだと、気づかされるからです。毎日を大切にすごそう、という気持ちにもさせられます。

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なお、『みんなぼうしをかぶってた』は、図らずもスタイグの遺作となりました。死期の訪れをさとっていたのか定かではありませんが、このような作品を晩年にドロップするのは、「さすがブロンクスっ子!」というような粋を感じます。

そうそう、この絵本には、幼年期の写真と近影が載っていて、小さい頃の面影が今に残っているのも、隠れた見どころの一つです。幸福感からホロリとさせられます。なぜなら、時代は大きく様変わりしたのに、彼の精神性は損なわれることなく(シャイで人のよさそうな表情は、どちらの写真からも見てとれます)、幸せな生涯を送ったんだろう、と思わせるからです。

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作品情報

『みんなぼうしをかぶってた』(When Everybody Wore a Hat)
作者:ウィリアム・スタイグ(William Steig)
翻訳:木坂涼
出版:セーラー出版
初版:2004年(日本語版)

みんなぼうしをかぶってた

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When Everybody Wore a Hat

When Everybody Wore a Hat